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「虚数」は「実在しない空虚な数」なのか

たまに中二病な人間がそういうことを言う。というより数学や物理の用語には、そこはかとない中二くささがある。

我々が数を学ぶとき、たどってきた道は次のようなものだ。1,2,3,…と自然数を数えることから始まり、四則演算を考えた。そして減法(引き算)がいつでもできるようにするために0と負の数を、除法(割り算)ができるようにするために有理数が考えられた。そして最初は1,2,3,…ととびとびで右側にしか伸びていなかった数直線が、左側にも伸びて稠密になった。

しかし、それでも欠落した箇所がある。そこに無理数というものをあてはめて、実数が完成した。それが高校までの数の展開であって、人類が数を考えてきた歴史である。

ところが、「高次方程式を解く」という過程で実数が解にならない場合が出てきた。そこで導入されたのが複素数であり、虚数である。

我々はこれまで数を拡張するのに、数直線上の空いているスペースを埋めるという形でやってきた。つまり、どんな数にも大小関係があったり、何より値に対応する「長さ」だとか「重さ」だとか、数を可視化する手段があった。1gの水、1.5mの棒、√2cmの線分など、想像は簡単にできる。

しかし、虚数は実軸上にない。複素数の範疇では大小関係が存在しないし、現実の単位に対応しない。5i[g]の水など存在しない。(少なくとも日常には)

これが「実在しない」といわれる原因なのだろう。確かにガウス平面で二次元ベクトルとして表記する方法はあるが、実数と比べて直感性に欠ける。

しかし、そもそも「数」というのは実在するのだろうか?
たとえば「1」という具体的な物体が現実に存在するのか?

「道を歩いていたら数の1が落ちてた」とか「誕生日プレゼントに3をもらった」とかそういったことはないだろう。あくまで数とは「抽象的概念」であって、自然数のような簡単な数でも、我々が見ているものは「数」自身ではなくその「対応」なのである。

つまり、虚数を実在しないと言い張るのならば、数はすべて実在しないことになるのである。

 我々が数という概念を得るきっかけは、「ものを数える」「ものの量をはかる」ということである。それに用をなしがたい虚数は、直感的に「実在しない」といわれるのも仕方ないのかもしれない。